ピンクのブラウスを着ていたい。
 空色のランドセルがほしかった。
 リボンのついた薄紫のパンプスも可愛い。
 いいなぁ。
 でも女の子になりたいわけじゃない。
 ただ、可愛いものに囲まれて可愛くなりたいだけ。


 会社をサボった。
 スーツのまま知らない駅で降りて広い田んぼを眺める。うるさいスマホは名前も知らない川に投げてしまった。
 「何処だろ、ここ」
 いいや。関係ない。帰るつもりがないからどうでもいい。
 事の発端は昨日、上司に裏アカがバレた事だった。かわいい服と、ふわふわのカラフルなウィッグで完全武装した姿を見られた。「佐々木のやつ、派手な女装してすました顔して写真撮ってるんだよ」他の社員の前で悪意たっぷりにポーズを真似て笑う奴の顔を見て(あ、明日死んでやったらこいつのせいになるよな)と思った。
 でも、勇気が出なくて電車の前に行けなかった。普通に乗り込んでしまった。そしてたくさん乗り過ごしてやった。こうなったら誰も自分を知らない場所で死んでやる。
 (でも、その前にまた可愛い服を着たいな。フリルとレースに埋もれて死にたい。試したい化粧もまだある)
 田んぼの横を歩いていく。田んぼと電信柱と空しかないこんな田舎に可愛い服や心躍る化粧品があるとは思えない。降りるところを間違えた。
 「どうしよう、街まで戻るかな……」
 踵を返し、駅へ戻ろうとしたその時。横を軽トラが激しい音を立てながら通り過ぎて行った。その勢いで足が縺れる。そして、田んぼへと落っこちた。
 いや、まだ落ちていない。スローモーションでゆっくりゆっくりと身体が傾いていく。
 (うわ、最悪だ……可愛い服どころか泥んこになる)

 ぼちゃん!

 「あいててて……えっ!?」
 田んぼに落ちたら田んぼで起き上がらなくちゃいけない。そんな当たり前のことが突如裏切った。そこは田んぼじゃなかった。周りを見渡せばたくさんのブティックが並ぶおしゃれで可愛い……ショッピングモール?
 「ど、どこ……? 俺、死んじゃったのかな」
 慌てて自分の体を触る。頬をつねる。ああ、しっかりとした男の体だ。いつもの俺だ。
 「あ、財布はある」
 手に持っていた通勤鞄は無くなっていたが、ポケットに財布が入っていた。
 「この際、夢でもいいや。ここで服を買って写真撮って死ぬ!」
 堅苦しくて可愛くない黒いスーツのジャケットを投げ捨てて駆け出す。全ては最高の死装束のために。ピンクと紫と水色で、レースもフリルもたくさんついているとびっきり可愛い服を! どうせもう死ぬんだから人の目なんて気にしない! 店で装備してそのまま出ていってやる!
 そう決意し、近くの店のショーウィンドウを覗く。
 「見たことないブランドだ。でもかわいい……」
 パステルカラーに彩られた店。ガラス越しにお行儀よく並べられているお花のような洋服。靴もヘッドドレスもここのブランドのもののようだ。可愛い! こういうのが欲しかった。財布に入っているのは五万円。値段を見て予算の都合がつくならここに決めよう。そう思い、勇んで店内へ入る。
 カランコロンと丸い音のベルが鳴り響く。店内もまた愛らしい調度品が並べられていて、たくさんの色彩に溢れながらも調和が取れていた。早速、服を見る。欲しいのはワンピース。フリルがたっぷりついているといい。お菓子やお花の柄もあればいい。ワンピースが決まればそれに合う靴やヘッドドレスも。あ、でもウィッグや化粧品も欲しいからそこそこにしなくちゃいけない。
 「値段値段……」
 近くにあったワンピースの値札を引っくり返してみると、驚きの価格が書かれていた。
 「五個……?」
 いや、価格じゃない。でも本来価格が書かれているであろう場所に書かれていたのは「五個」「三十個」「十二個」など謎の個数だった。高そうな商品になればなるほどその数は大きい。
 「どういうことだろう」
 少し気味が悪い。それでも、この店の服は可愛い。もしかしたらなにかのコンセプトに絡んでいるのかもしれない。真相を確かめるべく、店員さんを探してキョロキョロする。マネキンやラックの間を通り抜けてレジカウンターまで辿り着いたが、そこに人の姿はなかった。その代わり、大きくて分厚い本が置かれていた。まるで読めと言わんばかりに。
 「このお店の注意事項かもしれない」
 パステルカラーでファンシーな絵柄でありながら重厚な表紙を開く。すると、その本の大きさに反してものすごく小さい字でぽつんと真ん中に
 『値段はあなたがカワイイと思うものをその個数分言ってくれればいいのよ』
 とだけ書かれていた。頁をめくっても後は白紙で、それ以上の情報はない。
 「どんな商売なんだろう……。まあ、いいか。夢だからそういうこともあるよね」
 俺は欲しいものを両腕に抱えてレジに並べた。大きな赤いリボンのワンピース、これまた赤いリボンのついた帽子、白いフリルの靴下、赤い靴。ウィッグや化粧品もあった。
 「合計で……四十五個か。ええと、カワイイと思うものをここで言えばいいのかな? えっと……蝶?」
 言った瞬間、どこかで「ぴんぽん!」と音が鳴った。聞いているらしい。
 「これでいいんだ。じゃあ続けて言いますよ。フリル、レース、リボン、お花、お菓子、星、犬、猫、うさぎ、イルカ、ラッコ……」
 ぴんぽんぴんぽんと鳴り響くチャイム。その音が途切れないようにこの世の可愛いものを必死に頭に浮かべていく。
 「タンポポの綿毛、お道具箱、おばあちゃん家にある壁にかけられる女の子の人形、雨上がりの水溜まり……」
 どんどんよくわからなくなっていく。それでもぴんぽんは全てを肯定してくれた。それは可愛くないと否定することは一度もなかった。
 「これで四十四。あと一個」
 俺が可愛いと思えばこの店は否定しない。それなら、いいかな。言ってもいいかな。許されるのかな。
 震えた声で、絞り出す。
 「女装した俺……!」
 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽーーーーん!!!
 今までより盛大なぴんぽんが店内に響き渡った。どこからか吹き出したクラッカーのような紙吹雪も舞う。それはひとつひとつが花の形でとても綺麗だった。
 「ありがとう……」
 嬉しかった。それでいいんだよ、好きなものを好きでいていいんだよと言ってくれているようだった。それは生まれて初めてのことで、とてもあたたかい。幼い頃から抑えてきた気持ちが解放された。黒いランドセルを嫌々背負っていた幼い自分がようやく救われた。
 『アリガトウゴザイマス、カウンターノ、オクニ
 、コウイシツガ、ゴザイマスノデ、メイイッパイ、カワイクナッテクダサイネ』
 ぐすぐす泣いているとこれまたどこからか声がした。カタコトというか、合成音声のような声だ。その声に従い、商品を持ってカウンターの奥へと進む。その先にはかなり広いスペースがあった。まるで大物舞台女優の楽屋だ。美味しそうな焼き菓子もある。その傍らには「ご自由にどうぞ」とメモが。テレビでしか見た事のない電球のついたドレッサーが並んでいて、着替えもメイクもしやすそう。心が踊る。
 「今まで生きてきた中で一番嬉しいかもしれない」
 これから死のうと思っていたのに。なんだか惜しい気がしてきた。それは可愛いものを挙げている時にも感じた。世の中はこんなに可愛いものに溢れていて輝いているのに、俺は否定されることが怖くて目をつぶっていた。本当はもっとやりようがあるかもしれない。自分の好きなものを一番否定していたのはもしかしたら自分なのかもしれない。周りには言わせておけばいいのかも。やりたいことをやる。そう生きていきたいな。

 スーツをワンピースに。ネクタイをリボンに。

 きゅっ、と首元に赤くて大きなリボンを元気に飛び交う鮮やかな蝶々のように結んでおしまい。鏡の中には今までで一番可愛い自分がいた。







 「あれ……?」
 気がつくと俺はどこか暗い場所で座り込んでいた。なんだろう、手があたたかい。首元を触ると確かにリボンがある。目が暗闇に慣れてきた。赤い。赤いワンピース……
 「え?」
 違う。エプロンだ。でも着ていたのはエプロンワンピじゃない。こんな質素なエプロンは知らない。たじろぎ、よろめきながら立ち上がる。その時、なにかに躓いた。靴先に感じた感触はなにか柔らかくて固いもの。
 「わああ!」
 人だ。人の体を踏んだ。目が嫌でも慣れていく。見えてきた。目の前にあるのは横たわった人の体。顔は……青白い上司。
 「えっ、えっ、」
 黒いスーツから出ている赤いリボンと、俺の首に巻かれている赤いリボンは繋がっている。これ、スーツから出ているんじゃない。これはお腹から出ている。人の腹から出る長いもの、赤いもの。

 「えっと……腸?」



 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!!!!!